A君の思い出

昔、自分がある学会で発表したときに、よく手を挙げて質問したA君のことはよく覚えている。A君は誰の発表の時でも、よく質問してまた意見を述べていた。そして、学会の懇親会では、人々に愛想よく酒を注いで、名刺を渡していた。

自分は日本人としての感覚で、「A君は目立ちたがり屋で、スタンドプレーばかりの人間」と少々軽い人間だと見ていた。A君の指導教官の派手なことが嫌いで、A君には、もう少し手堅く研究するようにとうるさく指導していた。

そんな指導教官の態度に嫌気がさしたのか、A君は他の指導教官に移っていった。そこでは、教官と馬が合ったのか、指導よろしきを得て、立派な論文を書き上げていった。

この前、ふとある学会の名簿を見たら、A君が結構有名な大学で職を見つけていた。そーう、言われてみれば、この世界で職を見つけていくのは、A君のようなタイプばかりだと気づいた。

自己アピールすべきだ。

日本人が普通考えそうなことは、「自分はコツコツ勉強して手堅く実績を作っていったら、いつの日には誰かが自分を発見してくれる」・・・・なんてことは絶対にあり得ない。謙譲の美徳など研究者の世界には存在しない。

周りからは、ひんしゅくを買うくらいに、自己アピールをすべきだと思う。できたら、スマートに上手に自己アピールをすべきなのだが。あんまり格好付けてばかりいたら、機会は失われてしまう。

論文の欠点の指摘の仕方

あと、人の悪口は言わないことだ。自分の能力をアピールするために、他人の論文の欠点を指摘して、自分の頭の切れることを示す人がいる。しかし、それは協調性のない人間というレッテルを貼られて、就職先を見つけるときに苦労することにつながる。

論文の批評の仕方は、長所を示すとともに、欠点も指摘する、という両面作戦で行くべきだ。それならば、言われた方も納得すべきだ。「箸にも棒にもかからない論文を書きやがって」と思っても、そこは大人の世界だ。

本当は、論文の欠点は互いに徹底的に指摘し合って、改善に努めるべきなのだ。そうすれば、日本の学会も仲間内での褒めたいという蛸壷型の研究から脱皮できるのだ。しかし、今、就職先を探しているあなたは、そんなことは関係ない。日本の学界の伝統は、悪しき伝統かもしれないが、しばらくの間は、それに従うべきである。