私自身はかなりの年齢に達したけれども、まだ大学で教えている。来年もまだ教えることができそうだ(特任教授という形だが)。健康に気をつけながら働けば、さらに数年はプラスして雇用してもらえるのではと思う。
ところで自分の人生を振り返ってみると、やはり大学教授になれたのが大きかったと思う。それで人生がかなり好転した。自分は高校の教員をしていた。それなりに充実していた日々だったと思う。ただルーティンの繰り返しであった。人によっては、教授法を洗練したものにしようとしたり、趣味を見つけたり、部活の顧問に力を入れたり、生徒指導に力を入れたりと色々な高校教員がいた。ただ、当時は60歳が定年であり(今は、65歳定年だが)、比較的若くして退職せざるを得ない。
高校教員になったはじめは、教科の専門性をつけるためにその教科の勉強をして、それはそれで面白かった。でもある程度以上の専門性は必要としない。このあたりで勉強はいいかなと考えるようになる。私ものんびりとするようになった。
自分はそんな中で、ある所から声を掛けてもらって大学の職にありつけた。コネと言ってもいいかもしれない。本当に偶然としか言いようがない。研究者の中には、若い時から、才能を示して、間違いなく大学で職を見つけるだろうと思われる人がいた。大学の教員が、そんな人ばかりならば、私のような凡庸な人間にはチャンスはなかったのだ。だが、実は面白いことに、頭脳の優秀な人が必ずしも研究者になるとは限らない。そんな人のかなりの数が、官僚になったり、民間企業に勤めたりすることがある。
私が今まで知った人で、民間企業に勤めていた人を二人ほどを思い出す。二人ほど大変優秀であるが、会社の中では、あまりパッとしない様子だった。やはり、コミュニケーション力とか統率力などのよううな民間企業で必要な力が足りなかったのだ。これらの人々を思い出すたびに、大学で職を見つけていたら、もっと大成していただろうと思ってしまう。
私は、自分の力量を知っているので、高校教員として人生が終わったとしても悔いはなかった。でも、ラッキーなことに、さらにラッキーなことが2つ3つ重なり、大学での職を得た。この辺り詳しく書くことはできないが、なんとか大学で働くことができた。そして、不思議なことに大学での職を得ると、そこそこ活動することができるようになった。凡庸ななりに、無理をしないで、研究範囲を絞って、論文を書いたり、本を出版した。そしたら、それなりに評価を得ることもできた。その評価のおかげで、他の大学で、特任教授として働けることができたのだ、と思う。
「地位がその人を作る」という言葉がある。そのようなことは世間にはたくさんある。私の能力は、どんな逆境においても花を咲かすだけの力はなかったが、一度チャンスを与えられたら、そこそこの成果は発揮できるだけの力はあったようだ。その意味では、全くの無能というわけではなかった。ふと、過去を振り返ると色々な思いが浮かぶ。
これから、大学での職を目指している方は、今年こそは職を得て、大きく羽ばたいて欲しいと思う。