昨日は『大学教員 採用・人事のカラクリ』(中公新書ラクレ)という本を読んで、その一部を紹介した。今日も続きを読んでいて、大学教員の場合のコネ採用の割合についてどれくらいあるかについて情報があったので紹介したい。コネ採用というよりも、公募制度による採用の割合を述べてある。ここでは、公募制の採用以外はコネ採用と考えて論じていこう。
この本では次のように述べてある。「2000年代初頭の段階で、公募制度による全分野の採用数は全体の3割前後でが、その割合は上昇する趨勢にあると予想されていた。ところが、2005年に刊行された研究では、公募制を実施する大学は平均20%前後に過ぎず、特に「伝統的で威信の高い研究大学の人事」のほとんどがコネで決まるとされている。」(p.61)
今は2023年であるから、どうなっているか分からない。ただ、この数字は下がっているのでは、つまりコネ採用の比重が高まっているのでは考えられる。その理由の一つとして人事委員会が立ち上がるとそこに関係する教員は大変な労力が割かれるある。弱小の大学では教員の数が少ない。教員は手持ちの事務作業でアップアップの状態で、さらに余計な事務作業を行う余裕はないのである。ただ、公募制をおこなうと大学のイメージは良くなる。広い範囲から公平に教員を集めているというイメージがつき、それ好ましいことだ。であるから、ある程度の教員数がいて、新しい人材を採用することに積極的な大学が公募をしていると考えられる。
Jrec-in の公募の様子を定期的に見ていると、だいたいどんな大学が公募をしているか分かる。毎年、公募をする大学は開かれた大学だな、というような印象を私は受ける。伝統的で威信の高い研究大学はたしかに教授職などの公募は少ない。ただ、助教や特任講師のレベルでの公募は多いようだ。
さて、私自身だが、今まで3つの大学を経験した。そのうち2校はコネ採用であり、1校は公募採用であった。厳密に言うと、公募採用で決まった人が辞退したので、2番手の私のところに声がかかったというわけである。このように、自分自身が2校もコネ採用だったので、どちらが制度として良いか悪いかという点に関しては、黙るしかない。
京都大学出身の若手の教員と話をしたことがあった。その人が言うには、博士課程の修了式に研究科長が次のように述べたそうだ。「皆さんは修了されて研究者として独り立ちをするわけですが、一番心配していることは就職先のことだと思います。この時代は大学への就職は難しくて、京都大学出身でも難しい。でも、くじけずに頑張ってほしい」という趣旨の話だったそうだ。京都大学の博士課程を修了しても就職は難しいのか、と私は驚いたのだ。
私が大学教員になったのは40年ほど前の話だ。その頃は修士号さえあれば大学教員になれた。たいした研究実績もなかった私は、今の時代に、応募したら絶対に採用とはならなかったと思う。もっとも就職した以降は努力して研究業績はある程度はできた。それらの研究論文は採用を狙って執筆したのではなくて、自分が本当に関心ある分野の研究だったので、自分自身も楽しめた。論文執筆が苦ではなかった。今のこの競争が厳しい時代だが、私ならば挫折したかなと思うこともある。
なお、参考に私が以前書いたブログも見てほしい。