若い頃は過敏性大腸炎に悩まされていた(過敏性大腸炎だが、現代では「過敏性腸炎」というのが一般的なので、このブログでは今後そのような表記にする)。通勤途中でも、授業中でも、買い物途中でも急にこの症状に襲われることがあった。下痢であった。そのために、友人や家族と一緒にどこか出かけるときは、トイレの位置がいつも気になっていた。私が外国に行くときもできるだけホテルの近くを動き回ることにして、便意を催したら、すぐにホテルに戻れるようにしていた。
ところが、10年ぐらい前から急にこの症状はおさまった。「理由は何か?」と自分でも不思議だった。1つは高齢となったので症状はおさまったのか。あるいはこの頃から食生活を白米から玄米にかえたので、それが理由なのか。何だろうか。これらは、原因としては、どうも違うような気もする。ネットで調べると、過敏性腸炎の原因は、自律神経のバランスが崩れたので腸の機能が乱れたせいだ、と書いてある。するとストレスがかなり関係するようだ。
私はこの10年はストレスが非常に減った。その理由は論文を書かなくなったからだ。若い頃は昇進したいと熱望していた。当時の勤務校は、講師から助教授(今は准教授と呼ぶが)、助教授から教授になるには何本かの論文を書くことが求められていた。それで必死に論文を書いた。さらに、勤務校の調子がよくなかったので、安定した大学に異動したいと思って、必死になって論文を書いていた。共同で論文を書くこともあった。共同作業はときおりストレスをもたらすことがある。投稿した論文が受理されるかどうか、非常に心配をした。論文が酷評されると心理的に打撃となった。そんなことで、10年ぐらい前までは出版、論文執筆など、忙しくて、他人との関係の調整なども忙しく、常にストレスをためた生活をしていた。外出すると常に下痢の症状に襲われるのではと恐れていた。
ただ、定年が近づいてくるにつれて、もう頑張って論文を書く必要はなくなってきた。今までの自分の時間の大半を占めていたリサーチと論文執筆が必要なくなったので、時間的な余裕が出てきた。
ただ、大学の経営陣からすると、このような教員はお荷物と考えるようだ。学部改組、新学部増設などの場合には、きちんとした論文を書いた教員をそろえていないと文科省から改組や増設を認められなくなる。その意味では、経営陣は教員は、いつまでも論文執筆に一生懸命であって欲しいと考えているだろう。私のような怠け者の教員はすぐに追い払いたいだろう。
知人達の話しを聞くと、大学院担当であるためには、コンスタントに論文を書くこと、少なくとも一本は査読付きの国際ジャーナルに書くことを求められたりする。あるいは、任期付きの教員達は、どれくらい論文を書いたかが問われるのだ。大学当局は、いろいろな手段を使って論文を書け、科研に応募せよ、と教員に発破をかける。
私はもう数年で退職となる。論文を書く必要性はなくなったように感じている。10年前から年に一本ぐらい書くぐらいか。それも査読のない勤務校の紀要に投稿するのだ。昨年は一本も書かなかった。こうなると本当にストレスがなくなる。深酒をすることもなくなった。研究仲間との連絡も激減した。そして、それらは私を長らく悩ませていた過敏性腸炎からの解放も意味したようだ。