人生を振り返ってみて、自分の採用、あるいは他人の採用の事情から判断して、最短距離で大学教授になる方法を考えてみたい。自分は文系であるので、理系の採用の事情はこれとは異なっているので参考にはならないかもしれない。

大学教授になりたいと希望する人は、まず、自分の力量を客観的に判断することだ。まず、自分は上級の秀才か、中級の秀才か、下級の秀才か、判断することだ。

(1)上級の秀才とは東大に楽々と合格して、ゼミの先生や先輩からも一目をおかれる人だ。学会での研究発表でも周囲の注目を浴びる。発表すると、学会の大御所からも賛美される人だ。こんな人は心配ない。遅かれ早かれ、声がかかり、どこかの大学で助手や講師として採用となる。

(2)下級の秀才とは、才能はあまりない。ただ、大学教授になりたいという気持ちは持っている。その目標に向けてコツコツと努力する人だ。才能よりも努力が取り柄だ。

下級の秀才の最大の問題は大学に就職できないかもしれないという危険性だ。40歳を超えてフリーター、非常勤講師の掛け持ち、塾の講師であり、そのまま60歳を迎えてしまう人だ。今日のように大学への就職希望者が多いと、その危険性はかなり高まる。

そんな人は、修士が終わったら、高校にまず就職することだ。高校が進学校ならば、授業の準備が自分の研究テーマと重なることも多い。授業研究が自分の研究者としての力を蓄積することになる。

そして、学会に所属する。どんどん、学会誌に投稿する。そして校長の許可を得て、どこかの大学の博士課程に登録することだ。博士課程は授業もほとんどないから、高校の授業と両立する。

学振の特別研究員も魅力ある制度だが、そこに在籍している間に自分の方向性をゆっくりと考えることも一つの方法かもしれない。でも、これは上級の秀才のための制度だ。

学会には複数、所属すること、学会発表をこまめにすること、懇親会には無理をしてでも出席すること、学会の中の分科会・研究会に所属すること。高校の仕事もあるので忙しいだろうが、何とか頑張ることだ。

高校を辞めて外国に留学した人を何人か見た。帰ってきてから直ぐに就職できた人もいるし、就職できなくて困っている人もいる。留学が確実に就職に結びつくとは言いづらい。

とにかく、下級の秀才は、高校経由で大学教員を目指すのがよい。若い頃は、大学教員になれなかったとしても、校長とか教育委員会で働いていたりすると、退職後に大学で働く機会もある。

最近の大学の多くは、研究タイプよりも教育タイプの大学に志向している。そんな時は、高校などの教員経験者が好まれる。

さて、私自身だが、客観的に言って、自分の力量は下級の秀才だと思う。中学生や高校生の頃は、まあまあの成績だった。大学も国立大学だが、合格点をすれすれでパスできたのだと思う。そして、あまりパッとした成績ではなかった。私は、修士課程を経て、高校の教員となり、その仕事を続けていた。そして、なんとか30歳の半ばに地方の大学に就職できた。

修士課程の同僚たちは、高校の教員になっている人、大学の教員になっている人、非常勤講師を複数掛け持っている人たち、など様々である。博士課程の同僚たちは、私の知っている限りは、大半が大学教員になっている。

(3)さて、中級の秀才たちはどうか。上級や下級の秀才たちならば、道の選択に関して覚悟も決めやすいが、中級だと、自分はどちらの道をとったらいいのか迷うだろう。でも、私からのアドバイスとしては、やはり何か定職を確保してから、大学への就職活動を始めた方がいいと思う。

その理由として、大学倒産時代の到来が挙げられる。これからますます大学の教員としての就職は限られてくる。非常勤講師の大幅な削減はどこの大学でも取り組んでいるだろう。大学のダウンサイズをするとしても、すでにいる正規教員のクビは切りずらい。非常勤講師などにそのしわ寄せがくる。

若手を採用するとしても、任期制での採用となる。確かに、よほどのことがない限りは更新されるのだが、有名大学では、更新されずに他大学での就職を見つけるように言われることも多い。


今日のブログの記事のタイトルは「最短距離で大学教授になる方法」だ。読んだ人は、これが最短距離かと首を傾げたかもしれない。

私からのアドバイスは、この記事を読んでいるだろう、中級・下級の秀才に対してのアドバイスだ。とにかく定職を確保してから、大学教員を目指せということだ。それが実は「最短距離」なのだ。