先月(4月10日)の朝日デジタルに若手の研究者の自殺が報じられた。なくなったのは2016年でかなり前であるが、朝日デジタルで取り上げたことで話題になった。その中から要点を抜粋してみる。

大きな研究成果を上げ、将来を期待されていたにもかかわらず、多くの大学に就職を断られて追い詰められた女性が、43歳で自ら命を絶った。

日本仏教を研究してきた西村玲(りょう)さんは、2016年2月に亡くなった。

 04年に博士(文学)に。05年、月額45万円の奨励金が支給される日本学術振興会の特別研究員に選ばれた。

実家で両親と暮らしながら研究に打ち込み、成果をまとめた初の著書が評価されて、09年度に若手研究者が対象の賞を相次いで受賞。恩師は「ほとんど独壇場と言ってよい成果を続々と挙げていた」と振り返る。

 だが、特別研究員の任期は3年間。その後は経済的に苦しい日が続いた。

 衣食住は両親が頼り。研究費は非常勤講師やアルバイトでまかなった。研究職に就こうと20以上の大学に応募したが、返事はいつも「貴意に添えず」だった。読まれた形跡のない応募書類が返ってきたこともあった。

https://www.asahi.com/articles/ASM461CLKM45ULBJ01M.html

なかなか就職先が決まらずに、就職を諦めて結婚をしたが、それもうまくいかず、2016年に自殺をしている。大学の研究者の道を模索している人たちにとっては、他人事とは思えない記事であろう。彼女に関しては、すでにwikipedia にも登場していて彼女の業績の凄さが分かる。

この人は2010年に日本学士院学術奨励賞を得ている。その前の年に日本学術振興会賞を得ている。若手の研究者に対しての最高の賞である。

日本学士院賞は第一線の研究者に対して贈られる。学士院賞が与えられたら、その分野の権威であることの証明となる。ここまで来たら、学界で自分の論文にケチをつけられても、ニコニコ笑って「なるほど、ごもっともごもっとも、ご高説ありがとうございます」と余裕で対応できる。

私が修士の時に、学士院賞を受賞した方が東大を定年退職して移られてきた。数年で学部長候補に挙げられるほどであった。学問的な力と行政的な力は異なるのだろうが、それでも候補にあがるほどであった。その大学で定年になるとさらに他の大学に異動した。学士院賞を受賞すると就職先が簡単に見つかるのだということをまざまざと見せつけられたわけだ。

若手に対しての日本学士院学術奨励賞も同様にアピール度が高い。常識的に考えると就職先は簡単に見つかりそうな気がするが、やはり日本仏教という分野は需要が少ないということだろうか。

工学を専攻していると企業の研究所に就職することも可能だろうが、日本仏教だと大学に就職するしかない。

自分が研究したい分野と世間の需要とのミスマッチがある。どのようにしたらいいのか、答えはない。大学で就職を求める人は、自分の適性、環境、研究分野の需要などを考慮して、自分で答えを求めていくしかない。いくら努力しても、運に恵まれなければ、職が見つからないという点は辛いものである。