昨日の投稿で、若手研究者(西村玲さん)の自死について述べた。その話の続きを行いたい。

仏教という分野の需要を知りたいと思い、Jreci-n(研究者人材データベース)でキーワードを入れて検索してみた。

「仏教」で検索すると1件だけだ。鶴見大学の仏教研究所で募集をしているだけだ。一方、「法学」で検索すると72件ヒットする。「会計学」だと6件、「プログラミング」だと146件だ。

Jrec-inでの求人件数が大学での求人の実態をある程度は反映しているだろう。仏教研究者よりもプログラミングを教えられる人を、はるかに多くの大学は求めている。

知人の息子だが、ある大手の会社に勤めていたが、給料が安いと言って退職して、プログラミングの学校に通っている。プログラミングが組めるようになると40万円以上の稼ぎが可能だそうだ。

あまり需要のない分野を研究する人には、どのような道が残されているのか。公務員や高校の教員として働き、趣味として研究するのも一つの道だ。ただ、若い時に学士院学術奨励賞を授与されると研究者として一直線に進むしかなくなるのだろう。研究者としては軽量級だと自覚した人は、ある程度は妥協した人生を送ることになる。

私自身は研究者としては軽量級だろう。就職できたのは運があった。昔、ある大学で欠員が出て急に人手が必要になった。私の業績は大したことはなかったが、大学側はそんなことを言っていられない状況で私は就職ができた。ただ、それからは、私自身は努力して論文をたくさん書いて業績を作った。その大学から他の大学に異動する時は、比較的に容易にできた。

などと自分の昔のことを思い出す。実力以外にも運という要素が強いのがこの世界だ。