研究職を目指して大学の博士課程や修士課程に在籍する人も多いだろう。でも、大学に職を得ても、最近は思う存分に研究に打ちこむことは難しくなってきている。

ごく少数の有名大学を除いては、大学の使命は研究から教育へと移行している。弱小の大学になればなるほど、学生へのきめ細かい指導が必要になってくる。そんな大学の教員は、学生の履修登録を見て、必修科目は全部履修しているか、資格を取るには十分な科目をとったのか、などを学生と一緒に確認したりする。

学園祭になれば、学生と一緒に屋台を出したりする。オープンキャンパスの回数も増えて、教授といえどもそのたびにかり出されて、訪問してくれた高校生の対応をする。高校への出張の授業も多くなり、大学で休講すれば、その補講が必要となる。

とにかく、弱小の大学の教員は研究者というよりも、学生の世話係と言ったらいいだろう。

私が大学の教員になった頃は、そこは小さな大学であったが、研究に捧げる時間はたっぷりあった。オープンキャンパスなどと言うものはなかった。高校への出張授業もなかった。土日と研修日はたっぷり自分の研究に時間をかけられた。助教授(いまで言う准教授)は週に4日勤務、教授は週に3日勤務となっていたのだ。

そのころは、教員達は自分の時間をたっぷり取って好きな研究をしていた。私もマイナーなテーマだが、たっぷりと時間をかけて、そして年に1本ぐらい論文を書いていた。

そんな古き良き時代はいつのまにやら去ってしまった。大学の設置基準の大綱化である。大学の設置基準が大幅に緩められたのである。新しい大学が次から次と設立されていった。互いに競う会うようになっていった。弱小の大学は「面倒見の良さ」、「学生に寄り添った指導」をうたい文句にするようになった。

私の初めて勤務した大学は、大学案内の冒頭に、一人の老人(学長か理事長)の顔写真があって、建学の精神などが半ページにわたって書かれていた。高校生は建学の精神などは読みはしない。そんな大学案内はすたれてしまった。次第に、作成はプロのデザイン会社の人が受け持つようになった。華やかな明るいデザインとなり、冒頭は、見栄えのする若者達の笑顔一杯の写真となった。若者向けのファッション誌のようになっていった。高校生達は大学案内をみて直感的に「ここに入学したい」と感じるようになった。

その頃から、大学の倒産時代が間近と言われ初めて、教員達は自分が本当に研究したいテーマではなくて、一般受けするテーマ、需要のありそうなテーマへとシフトしていった。そして、それらに関する論文を多数書くようになった。私もマイナーなテーマから、より実用的な、より世間受けするテーマへと換えざるを得なかった。

そして、世間受けするテーマの論文をたくさん書いて、研究業績としたので、次の大学に異動することができた。でも、論文の質は否定できない。時間がたっぷりある頃に書いた少数の論文の方がはるかに質は高かった。初期の頃の論文はいまだに問い合わせを受けたりする。自分が量産するようになった論文は、質は低下していて、無視されているようだ。

最近は、雑用も多い。科研に応募するようにと学校からも発破をかけられる。気が乗らないながら、たくさん応募書類を書くのだ。さらに、授業評価アンケートをする。学生からの苦情に対しては、次年度以降はどのように対応するか案を書く必要もできた。学科長や学部長ぐらいになると、学生数確保のための企画書などを作成して、それに沿って行動しなければならない。

雑務、雑務で忙しい。これは弱小の大学ほど極端でないとしても、有名大学でも大なり小なり似たような事情であろう。そして、教員が研究に集中できる時間が減ってくる。

日本の科学技術は衰退しているのではという問いかけがよくなされる。内部にいた人間としては、はっきりと「そうだ」と言える。それは文部省・文科省の長期的な政策が日本の科学技術を担うべき研究者に最適の条件を与えていないからだ。それどころか、窒息させている、とさえ思う。

このままでは、かっては日本は科学技術大国と言われていた、と過去形で語られる日がそう遠くはないであろう。