大学教授にも格差がある。このブログで語るのは、1つの大学の中での格差ではない。格差と聞くと、助手、講師、准教授、教授というランクを思い浮かべるかもしれない。だが、ここでは、そのような話ではない。日本社会全体で見た,大学間の格差である。すると多くの人は、一番上は東大、京大を頂点とする旧帝大であると考えるだろう。でも、ここが頂点かというと、それは人の主観によって異なってくる。私が思い描くのは、都心にある有名私立大学の方が頂点だと思う。国立大学でそこそこ業績を上げた人が、有名私大に異動するのはよく見られる現象である。この理由は、なんと言っても、給料の差である。あと、都心は何かと便利である。つまり利便性の差である。

ヤフーニュース2024/10/15(火)によれば、東京大学教授の年収は「1190万9000円」だそうだ(独立行政法人、国立大学法人等及び特殊法人の役員の報酬等及び職員の給与の水準による)。約1200万円である。私がある私立大学でもらっていた給料よりも低いくらいだ。これでは、東大の先生と言っても、1500万円以上もらえる私大に移りたいのではないか。とにかく待遇が異なるのである。有名私大になると、個人研究費の支給もある。年間で50万円以上も支給される場合もある。さらに、科研に応募してはねられても応募したということだけで、いくらかの報奨金をもらえる。

確かに東大の教授の場合は、科研費が通りやすいのだが、科研費は使うのが面倒くさい。書類作成に時間がかかる。院生や助手にそれらの仕事を任せても、やはり責任者として書類一式には目を通す必要がある。東大を始めとして有名国立大学の先生ならば、講演を頼まれることもあろう。でも、芸能人みたいに1回のパフォーマンスで50万円ほどと言うことはあり得ない。やはり、せいぜい10万円ほどの謝礼が上限ではないか。とにかく、色々動き回っても、あまりお金は入ってこない。労多くして功少なし。

有名私大ならば、住宅手当が付くし、着任の時には引っ越し代も支給してくれる。出張もかなりの手当がつく。出版助成金もある。授業数が一定を超えると手厚い手当がつく。とにかく、あまり活動しなくても、そこそこのお金が入ってくるのである。そうなると意識変化がおこる。これから頑張って上位の大学に異動を希望することもない。ここが安住の地と考えてのんびりと自分の好きな研究を細々と行うことになる。つまり、上位校に移動するために、無駄な論文作成をしなくていいのである。このことは素晴らしいことだ。

待遇面は、都心の有名私大、次が旧帝大、そして都心の中堅私大、つぎが一般の国公立大学という順番になるだろう。そして、底辺は地方の小さな私大と言うことになる。

このヒエラルキーの底辺にある、地方の弱小私大は大変な状態だ。まず、学生が来てくれない。定員割れを起こしてしまう。食堂のメニューも貧弱になるし、売店も品数が少なくなる。書店が入っていたとしても、本や雑誌が売れないので,撤退してしまう。教員は、学生集めで高校訪問やオープンキャンパスにかり出される。学園祭には学生と一緒になって焼きそばを売ることになる。授業数も多くて、自分の研究をする時間もない。質の良い研究するためには、集中できるまとまった時間帯が必要だが、その時間が見つからない。上位校に移動するためには、論文数が必要だと思うので、質の粗い論文を大量生産してしまう。そして、給料や研究費も少ない。これらの問題は,大なり小なり、中堅以下の大学にも当てはまることだ。

日本の多くの大学で、安心して研究できる環境を提供できていないという状況は将来に禍根を残すことになる。一時期の日本はノーベル賞をもらう人が増えた時期があった。そして、今は、昔のような勢いはない。国が研究者がのんびりと集中して研究できる環境を提供していない。自分で研究費も調達してこい、という国の姿勢では、この国の研究者は疲弊してしまう。もう、日本ではノーベル賞は高嶺の花になってしまったようだ。