先日、同僚と話をした。この学科で来年以降に定年退職する教授が出そうで、その補充を探さなければならない。どんな方が後任として望ましいか話をした。その方と私の意見を合わせると以下のようなことになる。

若い人の方がいい。しかし、若い方だと業績がまだ足りない場合がある。そレでは、大学院を受け持ってもらったり、学科を新設するときに、文科省から業績が足りないと指摘される恐れがある。その意味では、ある程度は業績がある方、その分野で准教授として着任できるぐらいの業績をお持ちの方が望ましいという意見になった。

ただ、一番大切なことは常識人であることだ。つまり「普通の人」を採用したいという意見で一致した。東大や京大クラスならば、研究で実績のある方が望ましいが、普通の大学では、学生の指導・教育が一番であるので、人柄が一番大切ということだ。

学生ともある程度交流ができて、同僚とも普通の付き合いができる人が望ましい。あまりに弁がたつ人は敬遠されてしまう。教授会で堂々と意見を述べる人、提案された計画の問題点を細かく指摘する人などは、避けたいと思われている。大学の運営はアバウトなところが多いので、なあなあで進むところがある。そんないい加減さに我慢ができない人は、日本社会では不適合者と烙印を押されてしまう。

政治的な理念を持っている人もいる。それらの理念を普段から常に発言している人も困る。政治的な話題もタブーになることがある。

かと言って、何の意見も持たないで、ただただ流される人も困る。弱すぎる人では困るのだ。何かプロジェクトをするときも、リーダー的な仕事をある程度はできる人が望ましい。そんな人が普通の人ということになる。

あと、非常勤講師の時は大人しくてハイハイとイエスマンみたいな人が、正規の職に就くと、豹変して噛み付いてくることもある。面接の時は、応募者が豹変しないかどうかも見極める必要がある。

とにかく、人間には色々のパターンがあるが、普通の人・常識人が同僚になってくれると助かる。優秀でも奇人・変人では困る。委員会やプロジェクトを組んで仕事をする場合が多いので、グループで活動が円満にできるかがポイントである。奇人・変人でも広告塔になれるくらい、例えば、ノーベル賞でももらうくらいの方ならば、それは別の話となるが。

さて、採用の面接は、面接の担当者は話をしながら、この人は常識人かどうかを見極める作業になるのだ。応募者はニコニコ笑って、明るい雰囲気、真面目で温和な雰囲気を出すことだ。そうすれば、少なくとも、面接の時の常識的なマナーはわきまえている事を示すことになる。服装も気をつけて、清潔感を出すようにしたい。