東洋英和女学院院長の深井智朗(ふかいともあき)教授が、実在しない人物と論文をもとにして論文・書籍を書いた、として懲戒免職になった。この事件は今評判になっているので多くの方はご存じだろう。

深井智朗氏の業績を見ると堂々たるものである。受賞もいくつかある。何も論文を捏造する必要もないように思える。このままでも十分に優れた学者として学界で認められたと思うが、なぜこんなことをしたのか不思議な感じがする。おそらく、この分野はマイナーなので人物を捏造しても問題はないと考えたのだろう。熱心な研究者が自分の論文を追求して不正を見つけることなどないと考えたのだろう。

私が出版したときの経験から言うと、出版社の編集者は、私が論文で使った表や引用はすべて細かくチェックしていた。私の引用に関しても、私の解釈は無理ではないか、という問い合わせをもらったりした。さらには引用した表は信頼度が少ないのでもっと信頼できる表を探すようにと指摘されたこともあった。それに応じて、書き直したりした。力のある編集者だと、執筆する側も力がついてくる。

最近はネットが普及しているので、先行研究に依存する度合いの高い文系の論文は、すべて出典を調べられてしまう。また、公機関の統計などはすべて公表されてネットでもアクセスできるので、捏造が非常に難しい時代になってきた。

現代では学生の卒業論文などはどこかの論文の丸写しがある。それはコピペを調べるソフトがあるので、それを使えばだいたいコピペだと分かってしまう。学者の世界でもはっきりと引用を明記しなかったことで、論文の撤回や懲戒免職に至る場合もある。それだけ引用を的確にすることは学者としての基本であろう。

しかし、まったく存在しない学者の、存在しない論文について、言及するとは大胆すぎる。我々の想像の上を行ってしまう。これでは言い逃れは不可能であろう。

さて、今、大学への就職を目指して論文を作成している若手の研究者にも教訓になったことがあるとすれば次のことであろう。論文は書けばそれが残るのである。10年前の犯罪ならば隠すことも可能だろう。しかし、論文はそれが何十年も残ってしまう。単なる勘違いや、未熟な論文はそれは仕方がない。しかし、このまったく存在しない論文について言及したことがばれた場合は、10年前のことでも、20年前のことでも、免職の対象になる。

この深井智朗氏だが、まだ54歳であり、比較的若い。今後はどうやって生計をたててゆくのかと思う。家族がいるとしたら、ある程度のお金は毎月稼いでこなければならない。懲戒免職であるから退職金は出ないであろう。出版した本は絶版にならないとしても学術書の印税は微々たるものである。これだけ、大騒ぎになったのであるから、他の大学に再就職など不可能だ。もう学者として生きてゆくのは無理であろう。塾の講師か、ドイツ語関係の翻訳をするのか、細々と生きてゆくしかないであろう。あるいは、ドイツで職を見つけるのか。

ただ、小保方晴子氏の場合のように、日本中で注目を浴びることはなかった。比較すれば、深井智朗氏は注目度は低いので、数年も経つと人も忘れるだろう。それから深井智朗氏の贖罪の旅が始まるのだ。