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私立大学の多くは、教育中心へと大きく舵を切ろうとしている。あるいは、すでに舵を切っていると言っていいだろう。大学の「売り」として、教育中心の大学であること、学生のために親身な指導をすること、学力がなくても基礎からわかりやすい授業をすること、などを強くアピールするようになった。

現代、大学の教員を目指している人の多くは、あまり教育には関心はないだろう。できれば、研究中心の生活を送りたい。学生との接点は最小限にとどめたいと願っている人が多いだろう。しかし、それを面接の時に正直に述べたら、まず面接は通らない。

弱小の私立大学では、教員の意識を、研究中心体制から教育中心体制へと転換させようと必死である。国立大学でも、ノーベル賞級の研究者がいる大学は別として、やはり教育中心の指導体制へと変わってきていると思う。

応募して、面接にたどり着けたら、面接官たちは、応募者の教育への熱心さを測ろうとしている。学生との接触を嫌う教員は採用したくないと考えている。できるだけ、教育熱心な若い人を採用したいのだ。その人はゼミ活動に積極的であり、学園祭には学生と一緒になって屋台で焼きそばを売ってくれたり、喜んで学生を引率して研修旅行に行ってくれる人なのだ。

教育熱心な先生であって、ゼミの学生が少しでも欠席が目立つと、電話をしたり、呼び出したりして、事情を聞く。学内の就職試験対策講座の講師を務めたりする。不得意科目の特訓をしてくれたりする人、そんな人が望まれている。

そんな先生が増えれば、地元でも、あの大学は教育熱心であり、先生方は学生に親しみやすく、就職もいいと評判になる。受験生も増えて、大学倒産の時代と言われる現代でも、なんとか生き残りそうだ。

応募者との面接の時には、面接官はそんなことを考えている。応募者は教育熱心な人かどうか、学生への愛想はよさそうかどうか、などなど応募者の人柄を見抜こうとするのである。

応募者は面接の時は、ニコニコ笑って、明るい性格であることをアピールすること。学生とも楽しく一緒にやっていけますという雰囲気を出すこと。こまめに体を動かすことができる人だ、と印象付けること。

国立大学ならば、自分の研究業績を主にアピールしていけばいいのだが、弱小の私立大学ならば、プラスとして、学生への教育に熱心であることをもアピールするべきだ。そんな時代になったのだ。