このブログ「大学教授になるには」を近々、閉じる予定である。このブログを始めたのは2016年の12月であった。それから10年弱ほどであるが、今まで細々と続いてきた。その当時は私は60代の半ばの教員であったが、今は70代になった。嘱託というような形でまだ授業は担当しているので、大学教育とは今でもある程度の縁はある。

私が大学の教員になったのは、30代の半ばであった。その頃は今のようにたくさんの大学がひしめき合うということはなくて、いったん大学教員になれば、よほどのことがない限り70歳まで安泰という生涯が予想できたのであった。私自身も好きな研究に没頭できたのであり、楽しかった。しかし、国の政策が変わり、大学も互いに競争して、生き残りを掛けて争うようになった。そのために、教員の多くは、地位の安定している有名大学を目指すようになり、業績のために、論文の量産をするようになった。

自分自身を振り返ってみると、教員に成り立ての5,6年はじっくりと自分のテーマに取り組み、書き上げた論文もかなり重厚なものであった。しかし、それ以降は次第に論文の量産化に関心が移り、あまり推敲の済んでいない論文を学会誌などに投稿するようになっていった。研究費などは、自分の力で外部などに行って、見つけてこい、との政府の方針が徐々に強まった。ので、研究費のもらえるようなテーマの論文を書くようになった。

政府の打ち出した、優れた大学だけを生き残りさせるという方針には、私は賛成できない。近年は、入学者の確保に職員だけではなくて、教員も必死になった。学園祭にはゼミ生と一緒になって焼きそばを販売して大学への親近感を高めようとした。また、入試でもきちんと試験科目を受けて入る学生は少なくなり、だんだんと面接だけ、AO入試とか、論文を書くだけで、入学できるようになってきた。有名私大でも、推薦入試経由での入学者が増えている。学生の質の低下は否めない。

今年は日本人が二人ほどノーベル賞を受賞した。でも、学問の世界でも、こんな風に気ぜわしくなってくると、日本人でノーベル賞を受賞できる人の数も今後は減っていくのではと思われる。私が大学の教員になった頃は、日本のピークであった。それ以降は徐々に国力が衰えていった。自分は大学の中で教えている人間として、教育の質は徐々に低下していったように感じている。もっとも、学生の質もさることながら、研究の質の低下も否めない。教員が研究に没頭できなくて、雑務に追われることが多くなってきた。これは教育や研究の質の低下へとつながる。

などと、憂国の士として、国の将来を憂いたが、私自身の大学生活も終わりが見えてきた。今は、研究室の中の片付け、特に蔵書をどのように処分するか、に悩んでいる。出入りする学生にいろいろな本を押しつけている。多くの学生だが、困ったような顔をして、でも私への敬意なのか、押しつけられた本を持って行くようだ。願わくは私の蔵書が新天地でも、人のお役に立つようにと願っている。