9月14日の毎日新聞の記事に「投稿の准教授「査読素通り」 背景に教授圧力」という記事があった。この記事は、論文の数が、大学での採用、昇格のあり方と深く関係することを述べている。一般の人は研究者の世界が、かなり異常な状態になっていることを知って驚くであろう。

その記事は以下の内容である。毎日新聞のインターネット版9月14日の記事から。(https://mainichi.jp/articles/20180915/k00/00m/040/034000c)

インターネット専用の学術誌の中で粗悪な「ハゲタカジャーナル」が増えている問題で、粗悪とされる学術誌に化学分野の論文16本を投稿していた近畿地方の国立大の男性准教授が、毎日新聞の取材に応じた。「内容チェック(査読)は素通りだった」と感じながらも、すぐに論文が載る手軽さから投稿を続けたことを明かし、業績作りを急がせる教授の圧力が背景にあったことを証言した。

男性は同じ大学の研究員だった2010年12月、中国にあると自社サイトで明示する出版社の学術誌に初めて投稿した。研究室は博士号取得を目指す社会人学生を多数受け入れ、博士号の学位審査には国際誌への論文掲載の実績が有利に働く。博士号取得者を多く輩出すれば研究室と大学の実績につながる。指導を受けていた教授から「早く掲載される学術誌に論文を出せ」と求められ、複数の出版社から不特定多数の研究者に送られた勧誘メールの一つに応じた。

 論文を送ると「良い内容だ」と掲載を認める返信が来た。男性は「すぐに論文が載るし、好意的な学術誌だと思った」と振り返る。

 その後、研究室では学位審査の時期が近づく度に「書けば載る」「どんどん論文を出せ」と教授の指示が飛ぶようになり、男性は社会人学生と連名で論文を出し続けた。しかし、4~5本目の投稿で「学術的な議論もデータも不足した質の低い論文を投稿しているのに、査読者のコメントがあまりに短い。本当にチェックしているのか」と疑問を感じ始めたという。

 男性がハゲタカジャーナルの存在を知ったのは海外留学中の15年夏。ネット上で別の研究者がこの学術誌を「ちゃんと査読していない」「業績数を稼ぐためだけに投稿している人がいる」と批判していることを知った。男性は「同じように思われたくない。投稿はやめる」と決め、16年を最後に投稿を中止した。当初、論文1本につき約3万円だった掲載料は10万円近くに跳ね上がっていたという。

 男性は「学術的に意味がない論文を投稿し続けて『業績』が増えている。恥ずかしい」と悔やむ。「すぐ掲載されるからと投稿を続けていると、研究者としての能力は衰え、粗悪な学術誌から抜け出せない悪循環に陥る」と警鐘を鳴らす。

これは論文の数がある程度ないとスタート地点にも立てないという学界の事情がある。大手の大学だと教授への昇格は、海外の査読のある学会誌に2本以上掲載されていることが前提である、などと言われたりする。

質の悪い論文であっても、たくさんあれば、真面目にコツコツを研究をしてきたという印象はあたえる。

さらに、似たような論文を量産していても、タイトルを微妙に変えることで、別の論文として通ってしまう。Aという分野に応募したいとする。すると、タイトルがAという分野に近い論文を選んでリストアップして業績表に飾ることができる。それは本来はBという分野の論文だとしても、タイトルだけを変えることで、Aという分野に近い論文であるという印象を与えることができる。

採用の時は、論文を3つほど提出することが求められ、その3本は詳しく読まれるが、それ以外の論文は単にリストに挙げるだけですむ場合が多い。

そのように量がほしいときは、海外の粗悪学術誌が便利である。国内でも審査があまい学術誌がある。そのような学術誌は次第に名前(悪名?)が知られてゆく。業績表にリストアップされたとしても、すぐに分かってしまう。しかし、海外の学術誌はあまりなじみがないし、論文が英語で書かれていると、採用の審査をする先生はその論文の真価を見極めることは難しい。

採用や昇格の場合もさることながら、学科改組や新設のばあいは、業績をリストアップして提出する必要がある。この場合は、文科省の認可に関係する審議会の委員達が判断する。その方々は論文を読むということはない。ただ、タイトルと、その論文の概要を読んで、審査される教員が新学科や新学部に相応しいか判断するのである。

そんなこともあり、教員はできるだけたくさん論文を書きたい。自分が大学の紀要さえでも投稿しないよりはした方がいいと考えられている。

たくさん論文を生産しろ、という圧力は、日本の研究者を疲弊させている。昔はこんなに強い圧力はなかった。もう少し余裕があった。もう少しゆっくりと自分の研究テーマに打ち込めた。

最近の情勢の変化は、大学での職を求める人の数が増えていて、競争圧力がつよくなっていることとも関連する。

改革はどうすればいいのか。たとえば、書いた論文のすべてを一覧表を求めるのではなくて、リストアップするのは関連する論文を10本だけ、という風に制限すれば自ずから大量生産の傾向はなくなるのかなとも思ったりする。

しかし、もう解決策はないと思ったりもする。今から、大学での職を求める人は、この風潮を十分に理解・納得して、競争の中に参加するしかないかもしれない。