私は会社員と高校教員を10年ほど経験してから大学の教員となった。

会社員の時の思い出は、いくつかあるが、あまり楽しい思い出はない。

(1)とにかく忙しかった。5時を過ぎてもすぐには帰れない。仕事がなくても、みんな残業をしている振りをしていた。仕事自体は詰まらない仕事であった。自分を成長させる仕事ではなかった。

(2)満員電車にゆられて通勤する。遅刻は許されない。昔は国鉄(現、JR)や私鉄が春にストライキをした。そんな時でも、何とか職場にいろいろと工夫をしながらたどり着いた。

(3)上下関係が厳しかった。上の人の命令はすぐに対処しないと大目玉をくらった。言われたらすぐに行動をおこす必要があった。


さて、今日は、この上下関係について語りたい。会社では人は常に上の人を見ていた。上司の目の動きを見て次の指示を読み取る必要があった。

私には苦手な上司がいた。直接の上司ではないが、常にイヤミを言って、私の悪口を言いふらすタイプであった。その上司の前に立つと緊張して、できたら避けたいと思っていた。しかし、机が近くにあるので無視するわけにはいかない。朝の挨拶などは一応はおこなっていた。

あるとき、理不尽なことで大きな声で怒鳴られたことがあった。公の場での屈辱である。でも、私はおとなしく謝ったのだが、それ以降はますますその上司を苦手と思うようになった。

年功序列制度のため、長くいた者ほど社内の人間関係を築き上げ、仕事の動きも知っているので、年少者には不利な面もあった。


私は、それから、高校教員になった。一番驚いたことは、暇な時間がたくさんあることだ。8時半に出勤するのは会社員の時と同じであったが、学校では、5時前には職場を去ることができた。部活に熱心な教員はもう少し居残っていたが。

学校では夏休みは40日間である。そのうち1日は全校登校日、他の1日は当番で職員室に待機するのだ。少なくとも38日は夏休み、勝手なことができた。会社員の時は、お盆の3日間だけ休みであった。

今は、高校もうるさくなって、夏休みは研修とかなんとかという名目で学校に来させられる。でも、数十年前の高校はのんびりしていた。私の頃は平日でも、別室で囲碁や将棋を楽しんでいる教員もいた。

そして、高校では給料が会社員の時よりも1万円ほどアップした。これを考えると会社員などは、あの薄給で朝から晩までよく働いていたなと感心してしまう。

さて、上限関係だが、高校では、基本的には全教員が平等である。年配者には一応は敬意をはらうが、互いに「~先生」と言い合っている。校長や教頭も愛嬌がよくて、下の者に対しても「~先生」という言い方だ。特に強圧的なことはない。

会社員の時は、上司は下の者に対して「~君」と言い、下の者は上司に「~課長、部長」とか「~さん」という言い方をした。会社内では、年齢差が上下関係であり、誰が自分よりも年長者か年少者かとか、各自の役職を覚える必要があった。このあたりは面倒くさいのである。

学校でも、同僚で嫌な人はいた。そんな時は互いに無視をしていた。最低限の付き合いをする。それが可能な世界であった。


大学の教員になってからは、給料はあがった。授業の前に出勤して、授業が終わると帰宅するという形の働きもできるようになった。たくさん本を読む時間ができた。

週に3回ほど出勤するだけの人もいる。現在、私は週5日ほど出勤しているが、一日は授業がない日なので、自分の研究を行っている。

同僚で気に入らない人がいる。でも、会社員の時のように常に顔を合わせることはない。それぞれが、ほとんどの時間は研究室にいて、出勤時間が重ならないことも多い。教授会は全員が顔を合わせるが、離れて座ればそれでいいのだ。

大学には上下関係は一応はある。教授、准教授、講師、助手という区分けである。若い人は年長者に遠慮をすることがある。その意味では、高校よりも上下関係は厳しいと言えるだろう。ただ、会社の時のような絶対的な上下関係とは異なる。

大学の場合は年少者が先に教授になることもある。とりわけ、学問的な業績がある人は人々から一目置かれ、若くして教授に昇進する。実力本位の世界である。

会社の場合、昔は完全な年功序列制であった。年長者が上司になり、年少者の部下に指導する。その上下関係が逆転することはなかった。それゆえに、パワハラが可能だったのだ。しかし、近年は、上下関係の逆転があるうることを考えると、昔ほど無邪気に怒りを爆発できなくなった。今、叱りつけている部下が将来は自分の上司になる可能性を考えると、人はそんなに怒れなくなる。

大学では、学科長とか、学部長は順番でなることが多い。役職はくるくる変わる。学長などは選挙で選ばれることもあれば、理事長などから任命されることもある。理事長や学長からの命令は一応は敬意を表して、教職員達はそれを遂行しようとはする。しかし、会社員の時のような絶対的なミッションとして遂行されることは少ない。


私自身は、大学の学問的な業績で主に評価される制度は好きだ。自分よりも若い人が先に教授になっても、本を書いて世間の注目を浴びている人ならば、自分は納得する。この軽い感じの上下関係が好きだ。

会社員のあの時代、上下関係の厳しい世界、何ら技術は身につかなくて、会社内の人事とか噂話だけ詳しくなった。会社内でしか通用しない仕事の段取りを覚えただけの時代であった。

もっとも、これは人によって向き不向きがあって、私には、無駄な時代であったが、それが有益な時代と感じる人もいるだろうことは認める。